無くなるって、そういう事

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祖母が亡くなって、2ヶ月あまり。
正直、祖母が亡くなっても、ものすごく悲しい、とかあんまりありませんでした。
95歳という年齢で、5年くらいは意識もぼんやりとして、どちらかというと必然。戒名にも寿がつく程、長生きで眠るように亡くなりました。
なので、どちらかというと私は割と穏やかに法事に居て、穏やかに祖母を見送りました。
で、そうなるとまぁいろいろと面倒な手続きや、ちょっとしたごたごたなんかが待っていて。とはいえそれは私ではなく、両親や親戚の人々がしておる事で、まぁ、正直あんまり私には“関係のない事”でした。(というより、私にはその権利は無いですし。)
そして、あらかたの事は片付いたらしく、祖父母の家のあった土地に買い手がつきそうだという話を聞き、あぁ、これで全部終わりだなぁ、と思ったら、ふと、急に淋しくなりました。
祖父母の家は、祖母がかなり長い事病院暮らしだったため、もうとっくに家もほとんど残っていない状態で、私も何年も行っていませんでした。
でも、それでもそこに存在していて、行かなくても、何も無くても、ちゃんとあった。
それが人の手に渡ることで、新しい誰かが建物を建て、そこで知らない人たちが生活して行きます。たぶん、大げさに言えば新しい歴史が出来てくるんでしょう。だから、今までの分の歴史は、そこで、ぷつっと途絶えてしまう。
そして、多分私が初めて感じた淋しさは、この、歴史が途絶える事に対する淋しさ、だったのだと思います。
初めて、土、や、土地、に想いを馳せました。こんな当たり前の事だけど、こんな当たり前のことも実感する事って、あんまりないものなんですね。
我が家、が建っている辺は、森、だったのかしら。。。。

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